徳川さんの紋で有名な二葉葵の鉢を見つけて購入した。
私の長男が静岡市立葵小学校に通っているが、その校章がこの二葉葵をあつらえたデザインとなっている。
葵小学校の前身は城内小学校と青葉小学校が平成19年4月に合併し誕生したが私自身も城内小学校の卒業生である。
葵小学校は元の城内小学校が120年あった敷地に存在し、城内小学校が使っていたのと校章を採用した。
それなので私も葵小学校やその校章には思いいれがある。
確かに写真を撮ってその葉を良く見ると徳川さんの葵の紋所になっている葉である。
この度、5月29日に京都の上賀茂小学校と静岡の葵小学校の交流がスタートした。
この交流は二葉葵を校章にしている葵小学校と二葉葵を育てている上賀茂小学校という二葉葵が結んだご縁だ。
徳川さんの葵紋(あおいもん)について調べると、ウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したものである。
その名の通り通常の葉の数は2枚である。三つ葉のフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。
葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっている。
その賀茂氏とのつながりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家が清和源氏の末裔ではなく賀茂氏の末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。
はじめは、特別な紋ではなかったが徳川家が征夷大将軍となり徳川幕府を開くにあたり、次第に他家の三つ葉葵に限らず葵紋の使用がはばかられるようになり、松平家へは遠慮させ、伊奈家には禁止させている。
それらによっていつしか徳川家が独占するようになったが、徳川家家臣である本多家のように一部葵紋の使用を許されることもあった。(葵紋の調べた内容はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)による)
静岡市立葵小学校は徳川家康居城であった駿府城跡内にあり、校章の二葉葵のルーツは徳川さんの葵の紋である。
一方の上賀茂小学校が育てる二葉葵も由緒正しい賀茂氏から受け継がれている二葉葵であろう。
この二つの小学校を角度を変えて見ると賀茂氏と徳川氏の繋がりと見ることが出来る。
両校の交流はそのような観点から見てもとても意味深いと感じた。
参考までに「蔓三つ葵」と言う紋があり葵小学校の紋はほぼ同じだ。「徳川葵」と比較すると葉の向きが外に向くか中に向くかが大きく違う。更に右の紋は「二葉葵紋」と言って賀茂氏の紋である。