安池家

我が家のお稲荷さんの中にやもり(家守)が住んでいます。

我が家のお稲荷さんの中に80年以上前からやもりが住んでいます。毎年年末に、大掃除でお稲荷さんの掃除をし、今年もやもりさんがいてくれました。

墓参りをしてきました。

お盆を前に墓参りに行きました。草取りや、掃除をしてご先祖様の眠っている墓前で手を合わせ、お参りをするのは、精神的にもとても良いことだと感じています。ご先祖様に感謝!

地震で被災した蔵の修理が完了した。2010年3月末日

2009年8月11日に起きた静岡での地震によって被災した我が家の蔵であるが、菊池建設㈱に修理を依頼し、この度、完了した。 明治時代の蔵が再び、修復を終えて、美しくよみがえった。今回は屋根に瓦をやめ、銅版を葺くことにした。そして、瓦と共に載っていた3…

両親の写真が出来てきました。

父 得之77歳、母 陽子72歳です。 私も今年45歳になります。 この歳になると、自分自身があるのは、多くの皆様のお陰であり、自分を産み育ててくれた両親のお陰。 長生きしてもらいたいと思っています。 長男 倫成

庭木の手入れをしてもらいました。

自宅の耐震補強工事が始まってはや1年余りを過ぎました。家の補強が済んだら、庭の手入れをしないとと考えていましたが、1年余り手入れをしていなかったので葉が生い茂り、枝も上にも横にも伸び放題になって、雨どいに枯葉屋や枯枝が詰まったりしていました…

十代興男(大貫院興獄道開居士)二十七回忌法要を行いました。

私の祖父である安池家十代興男(大貫院興獄道開居士)二十七回忌法要を平成21年1月31日10時より、静岡市葵区の松源寺で行いました。 出席者は興男の子供関係者(父の兄弟関係者)。 その後、西草深町の自宅にてお弁当をとって、昔の話を懐かしみました。

商号変更と代表者変更について

2009年2月6日付、商号変更(有限会社安池→株式会社安池)へ、代表者変更(代表取締役 安池得之→代表取締役 安池倫成)をいたしました。 今後とも株式会社安池を宜しくお願いいたします。

2009年の年賀状の絵

今年の年賀状は法隆寺の百済観音(くだらかんのん)を描きました。 毎年、年に1度は絵を描くように正月に入ってからゆっくりと描くのですが、本日やっと宛名書き(パソコンですが)済ませ、発送しようと思います。 お年賀状を早々にいただきました皆様、遅く…

清里開拓70周年記念式典に出席しました

山梨県の清里の八ヶ岳区開拓70周年記念式典にお招きいただいた。 2008年11月24日朝9時に静岡を出発し、清里には11時30分くらいに到着した。 記念式典の会場は「八ヶ岳興民館」である。日本で唯一つ、「公民館」ではなく「興民館」と書く。私の祖父安池興男の…

安池家の歴史

息子を抱きしめて

今日、明け方寝床で7歳になった長男に、「自分の子供ができたらこうやって抱っこして寝てあげるんだよ。」と伝えた。 「人ってあったかいでしょ。」明け方は少し涼しいこの季節、もう一度、長男を抱きしめて(お父さんやお母さんの温かさを覚えとくんだよ。…

山岡鉄舟と西郷隆盛の会談(駿府傳馬町)

友人から東京の歌舞伎座において「将軍江戸を去る」という演題のものを観劇してきたという知らせが届いた。 その中に「山岡・西郷の会談の場面があった」と聞き、それが駿府(静岡)での史実と言うことであり興味をもって家の中に或る書籍を探した。 「近世…

「感激の至情 楽土を拓く」安池家第十代安池興男

私の祖父にあたる安池家第十代の安池興男について、記す。 祖父興男を一言で表現すれば山梨県の清里を開拓事務所長として開拓に尽力した人ということになる。清里では「清里の父」と称されている。 清里開拓にいたるまでの簡単な略歴を記載しておく。 祖父興…

平成20年5月5日(子供の日)

我が家の家紋は「抱き冥加」といいます。左右に冥加の葉が書かれた紋です。「丸に抱き冥加」ではないかと着物屋さんに言われたことがありますが、墓石や、お位牌にも抱き冥加の周りには丸で囲っていません。 子供が生まれてから5月には五月人形を飾っていま…

明治時代の1,000円の価値は?

安池家の歴史を調べている際に新聞記事に掲載されている当時の貨幣価値が分らなくて、週刊朝日編の「値段史年表 明治 大正 昭和」「戦後値段史年表」という書物を購入し、白米の10Kgの標準価格(小売価格)の推移を表にし、平成12年の白米の金額に対してそ…

ご先祖様も襲撃にあった「米騒動」大正7年の出来事

私は父から、九代米雄は米騒動の時には、自分から廉価にて米の販売をするという看板を出したので、大きな被害はなかったと伝え聞いている。 「静岡中心街誌・編者:安本博氏・静岡中心街誌編集委員会・昭和49年11月3日発行」の書籍によると安池家も米騒…

ご先祖様が経営した「葵ホテル」の記事

葵ホテルの記事を見つけたのは写真の書物「新聞にむる静岡県の100年」と言う書籍の中である。「葵ホテル」は15代将軍徳川慶喜が静岡市西草深町に住んでいた屋敷跡を買い受け、安池他数名の役員で運営し、日露戦争時、捕虜収容所として提供し、ロシア人捕虜…

第八代安池傳兵衛の記事

「慶喜邸を訪れた人々~徳川慶喜家扶日記より~」 羽衣出版に私のご先祖様である安池傳兵衛に関する記述を確認した。 この本は最後の将軍徳川慶喜、静岡での30年間の暮らしと 慶喜邸を訪れた人々の人物像を解明することを目的として前田匡一郎氏が編者となっ…

安池家 家訓 (大正五年六月稿:九代安池米雄)

安池家の家訓を読んでみました。筆記されているものを極力忠実に 記したく○の部分は昔の漢字で現在調べています。 明治大正時代の歴史観は色濃く現れているものの、 心構えは時代を超えて語り継がれて行くべきものであると感じた。 もともと家の中の人に向け…

安池家の家法(大正五年六月稿:九代安池米雄)

2008年4月4日 安池家の家法が書庫の中に保管されており、それを読み返してみた。 家を繋いでいくための知恵と工夫が記載されていると感じると同時に 現代においても先祖の考え方を大切に引き継いで行かなければ ならないと強く感じた。 《 安池家 家法 》 (…